お笑い芸人「すがちゃん最高NO.1」—中1から一人暮らしの過去と、豪快なおやじとの絆

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お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」のメンバーとして活躍するすがちゃん最高NO.1さん。彼の生い立ちは、普通では想像できないような壮絶なものでした。この記事では、そんな彼が語る一人暮らしの中学時代と、彼の人生に大きな影響を与えた亡き父親との絆に迫ります。


5人家族から一人暮らしへ—3歳で母親を亡くす

すがちゃん最高NO.1さんは、東京で生まれましたが、3歳のときに母親を病気で亡くしました。母親は「出産すると危険」と言われていたにもかかわらず、彼を産んでくれたのだといいます。すがちゃんさんは、「お母さんに感謝している」と話し、幼少期のお見舞いの際には、寂しさを和らげるために「おばちゃん」と呼ぶように言われていたエピソードも明かしています。

その後、父親の故郷である山形へ引っ越し、**祖父母と父親の姉(伯母)**との5人暮らしがスタート。しかし、中学1年生の春に突然、一人暮らしを余儀なくされました。


豪快な父親との関係—カッコつけの遺伝

すがちゃんさんの父親は大柄で豪快な人物。酒、ギャンブル、女性が好きで、よく家を空けることが多かったそうです。ある日、父親が突然再婚し、子供たちを連れて家に戻ってきた際には、祖父が父親を追い返すという一幕もありました。

小学校5年生の頃、母親代わりだった伯母が東京に戻り、祖父が亡くなった後には、すぐに祖母も体調を崩して施設に入所。こうして、すがちゃんさんは中学1年生から5年間、一人で暮らすことになったのです。しかし、「カッコいい」と思われたくて一人暮らしを隠すという、少年ながらの気丈さがありました。


影と孤独を抱えた少年時代

一人暮らしを続ける中で、すがちゃんさんは「普通の家庭」への憧れが強く、友達の家でお母さんが家事をしている様子を盗み見て、洗濯の仕方や料理のコツを学びました。柔軟剤の香りを再現しようとして、体操服にせっけんを塗り白くなってしまうなど、面白いエピソードも語っています。

しかし、父親に対しては恨みや憎しみを感じることはなく、むしろ彼の**「カッコつけ」な性格**を尊敬していたといいます。家は貧しかったものの、父親の存在が彼を支えていたのです。


父親との別れ—「ナンバーワン」の遺言

父親との別れは突然訪れました。3年前、父親が血液のがんを患っていることを知らされたすがちゃんさん。最後の時まで豪快だった父親は、病室でも看護師を「ナンパ」し、「すがちゃん最高No.1って芸人だが、家では俺がナンバーワンだ!」と息子を自慢していたそうです。

亡くなる前日、すがちゃんさんに父親が最後に言った言葉は、「カッコいい生き方をしろ」というものでした。翌日、父親は亡くなり、その言葉は彼の心に深く刻まれることとなります。


孤独を感じる子どもたちへのメッセージ

すがちゃんさんは、孤独な子どもたちへ向けたメッセージも語っています。「孤独な時期は、自分を成長させるための準備期間だと思って欲しい」と。彼は、自分の過去を振り返りながら、影を持つことが人をカッコよくし、周りの人を引き寄せる力になると語ります。


すがちゃん最高NO.1の生い立ちまとめ

すがちゃん最高NO.1さんは1991年生まれ、山形市出身。お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」のメンバーとして活動中です。彼の生い立ちや壮絶な一人暮らしの体験は、著書「中1、一人暮らし、意外とバレない」(ワニブックス)で詳しく語られています。

彼の人生は、父親との絆と孤独に向き合いながらも、前向きに進んできた証です。そして、その経験が、今の彼のユニークな笑いを生み出しているのかもしれません。


すがちゃん最高NO.1ユーモアあふれる人生を垣間見るとともに、彼が届ける笑いの背後にある深いストーリーをぜひ知ってください。

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